トランスヘイトに加担している人物・団体のリスト / 吉澤洋治

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出版社の社長にアビゲイル・シュライアーの翻訳出版をお願いしているところ。ジョン・マネーやリーマー双子の事も知らずに、ファッション的なトランズイデオロギーで子供の未来を奪う親を増やしてはいけない。米の心理学協会(American Psychological Association)はアファーマティブ・ケアを推し、AMA(American Medical Association)も同調しており、現場のレベルの低い医師やカウンセラーは親に「Oんだ子供とトランズの子供のどちらが良い?」と悪魔的な設問で追い込みます。性アイデンティティの確立に戸惑う子供たちをトランズありきで治療をしたりすることは愚かであり、De-Transの子たちが背負う十字架の重みを増すのみです。

正直、どれだけ無知であれば子供に不可逆的な性転換治療を施すという発想に至るのかを理解できません。

差別という言葉が軽々しく扱われすぎているとの感。内心の嗜好まで踏み込むことも差別の名の元においてなされている。「トランスの私と付き合わない男は差別主義者だ」、「極端に太った私を魅力的に感じろ」など。

差別に関する条例で定義を試みているものも「客観的合理性」など、抜け穴だらけである。職場で面接をし、Aさんは背が高い、Bさんは背が低い。私は背が低い人が好きだ。よってBさんを採用する。これが内心であるとしたら、採用者である私はそのことを語らなければ良い。客観的合理性のある理由を考えれば良いだけの話。

差別と称されるものは異なるレベルで議論すべきだ。黒人が使ってはいけないホテルやトイレといったレベルは認識することも、撤廃するのも概念的には簡単だ。しかし、美醜など、人間の好みが各種判断に影響を与えている場合、この領域に踏み込むのは内心侵害であり、全体主義的越権行為である。

「隣にゲイカップルが住むのは気持ち悪い」という心情を正すには、ゲイに対する差別を叫ぶより、当人たちを個人として観る視座が有効だ。ゲイは嫌いだけど、隣のやつは結構いいやつなんだよ。こう考える方向での差別撤廃を阻む方向に動いているのが、現在の被差別者を一括りにし、敵対構造を構築したのち、権力を獲得し、相手を組み伏すという姿勢である。 https://t.co/xwgLUDocdw

— 吉澤洋治 Yoji Yoshizawa (@yojireal) May 1, 2023

https://twitter.com/yojireal/status/1652981993305681921 (魚拓)